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逆さ水松  南条の墓(町指定有形文化財)

逆さ水松  南条の墓(町指定有形文化財)

~ 逆さ水松のいわれ ~
天文十七年(1548)南条越中守広継は、勝山の城代となった。広継の妻は四代秀広の長子であったが女であるため家督を継げず、聟の基広に家をつがせようとしたが季広に 討たれたため、弟の舜広、元広(季広の長男・次男)に近習を使って毒をもらせたことが露顕し自殺させられた。

広継は固く身の潔白を誓い、礼服に身を固め棺に入り、自ら命を絶ったがその時、一本の水松を与え棺の上に逆さにいけさせ「水松が根付いたら身に悪心ない証であり、三年たっても遺骸が腐っていなかったら、それこそ潔白のあかしである」と遺言し、節を抜いた青竹で呼吸しながら鉦を鳴らし経文を読誦した。鉦の音と読経の声は三週間も続いたという。三年たって墓を掘る者はなかったが、その水松が成長し、さかさオンコになったのだという。(上ノ国町ホームページ 上ノ国に伝わる伝説より)

桂岡愛宕神社の東側に土塁を廻らした古い墓が建っています。南条安右衛門の墓、若しくは南条越中廣継の墓と地元に伝えられてきました。

コシャマインの戦いの頃、南条家の祖季継は知内町の脇本の館主として知られ、後に子孫は松前家に仕えました。廣継は天文17年蛎崎基広の跡を継いで勝山の城代となり、安右衛門包元は享保18年から寛保2年まで寺社町奉行を勤めました。

墓碑を囲む土塁から採取された陶磁器から築造年代は17から18世紀と考えられています。

この辺り一帯には伝説の逆さ水松や愛宕神社も展開し、トカフ(苫符:現桂岡)は2級河川天野川の沢筋で枢要な位置を占めていたと推されます。

謎の多い墓ではあるが、松前藩政下、また中世の上ノ国地方を物語ってくれる貴重な文化遺産です。

所在地 〒049-0626 北海道檜山郡上ノ国町字桂岡51番地
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連絡先 上ノ国町教育委員会(TEL:0139-55-2230)
交通アクセス 道の駅上ノ国もんじゅから江差方面(国道228号線)へ
JR上ノ国駅付近交差点を右方向へ(木古内方面へ)
桂岡駅手前にあります。